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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第9回

【JSTnews6月号掲載】イノベ見て歩き/地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)「バナナ萎凋病の診断・警戒システムと発病制御戦略の構築と実装」

バナナに感染する「フザリウム菌」。 ペルーとの共同研究で萎凋病のパンデミックを防ぐ。

2025年06月09日 12時00分更新

文● 島田祥輔 写真●島本絵梨佳

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 社会実装につながる研究開発現場を紹介する「イノベ見て歩き」。第20回は、バナナの重要病害である萎凋病(いちょうびょう)の病原体である「フザリウム菌」に対して、特異的診断法と感染被害を未然に防ぐための戦略を構築し、南米のペルーで検出技術の普及を目指す、東京農工大学大学院農学研究院生物制御科学部門の有江力教授を訪ねた。

(写真左から) 東京農工大学カルラ トリゴソ大学院生、有江 力 同大学院農学研究院教授 、髙橋さくら 同助教、佐々木信光 同准教授。

病原性高い新型萎凋病菌の脅威
地域住民の生活水準を高めたい

 東京都内の大学とは思えないほど広大な農場が広がる、東京農工大学府中キャンパス。有江力教授の研究室で見せてもらったのは、青々と育っているバナナの苗だ。しかし、私たちがよく口にするバナナは今、感染症の危機にさらされているという。有江さんは「その元凶が萎凋病です」と切り出した。その病原体はいわゆる「かび」であるフザリウム菌の仲間で、土壌に潜み根から侵入し、維管束を通じて地上部に広がる。やがて茎が割れて葉が黄変し、最後には枯れて死んでしまう(図1)。

図1 健康なバナナ(左)の茎はきれいでみずみずしいが、萎凋病に感染すると(右)維管束が褐変して茎が割れる。

 多くの植物はフザリウム菌による萎凋病にかかる。有江さんたちは、以前からトマト萎凋病菌がどのようにしてトマトに対する病原性を獲得したのかを研究していた。そのため、トマトの原産地であるペルーを含むアンデスにおいて同菌のフィールド調査を行っていた。その中で、バナナ新型萎凋病菌「TR4」のパンデミックがペルーにも迫っていることを認識し共同研究を開始したという。

 1950年代に中南米でバナナ萎凋病の感染が拡大し、当時の主要品種であるグロスミッチェルが栽培できなくなり、産地が崩壊、莫大な損害が発生したという。その後、萎凋病に罹病しにくいキャベンディッシュが、世界の貿易バナナの主力となった。ところが90年代に入ると、フィリピンやマレーシアなどの東南アジア地域で、TR4による被害が発生。現在ではオーストラリアやアフリカ、南米大陸にまで広がり、ペルーでも感染拡大が懸念されている。

 この脅威に立ち向かうために、有江さんは鳥取大学と国際農林水産業研究センター、理化学研究所、ペルーの大学や研究機関と共同でJSTのSATREPSに応募し、採択された。この事業では、ペルー内陸のセルバと呼ばれるアマゾンのジャングル地域を対象に、萎凋病の診断や防除策などの確立と普及を目指している。この地域には、TR4はまだ侵入していないが、主食用のバナナに感染が広がれば住民の生活を直撃することになる。住民の収入が低いという社会問題もあり、イノベーションを通じて同地域のバナナ生産の価値を向上し、住民の生活水準までも高めることが目的だ。

短時間で測定可能なLAMP法
スペイン語マニュアルも整備

 一方、佐々木信光准教授、髙橋さくら助教は、バナナに重イオンビームを照射して変異を誘導し、TR4に強いバナナを育種する研究を行っている。また、バナナの細胞分裂が盛んな茎頂(けいちょう)という部分には、萎凋病菌は存在しない。そこで茎頂を元に組織培養し、同菌に感染していない健全苗を増殖して、農家に配るシステムをペルーで普及させることも目指している。

 こうした実験で欠かせないのが、在来型・新型を問わず肉眼では見えない萎凋病菌の植物組織や土壌からの検出だ。バナナが同菌に感染していないか、そもそも土壌に菌がいるかどうか、研究のあらゆる場面で菌を検出する必要がある。病原体の検出といえば、新型コロナウイルス感染症で有名になったPCR法がある。しかしPCR法は、測定の際に3段階の温度変化の繰り返しを経るため専用の機器も必要で、結果が出るまでに数時間を要するという欠点がある。

 そこで、有江さんたちはLAMP法に着目した。LAMP法とは、目的とする遺伝子の配列を元に設計した6種類のプライマーと呼ばれるDNA断片を用い、鎖置換法を利用して目的DNAを増幅するものだ。この方法では、セ氏約60度の定温で診断が可能で、約1時間で結果がわかる。有江さんは「LAMP法はDNAを爆発的に増やすため、短時間で萎凋病菌に特有の遺伝子の有無がわかります。必要な装置も簡易なもので済みます」と、設備が整っていないセルバ地域でも診断に使用しやすい方法であることをアピールする(図2)。

図2 LAMP反応の例。目視の場合、陰性であれば反応液の色は変化せず黄色いまま、陽性であれば淡い緑色に変化する。これに紫外線(UV)を照射すると、陽性であれば蛍光が観察される。

 LAMP法そのものは確立された技術だが、萎凋病菌の診断に使用するための研究は決してスムーズではなかったという。感度が高いだけに、同菌がいないサンプルが陽性となることがあったからだ。学生が学会イベントでデモンスレーションをして失敗したこともあったと振り返る。「でも、そういう失敗を経験して学生は成長します」と有江さんは語る。その後、LAMP法で同菌の検出に成功し、そのプライマーセットは試薬開発を行うニッポンジーン社(東京都千代田区)で製品化された。SATREPSのウェブサイトでは試験方法のマニュアルを公開しており、現地ペルーでも活用できるようスペイン語のマニュアルもある。

学生間交流や人材育成も盛ん
農学のスタートは現場にあり

 有江さんたちは学生と共に定期的にペルーを訪ね、現地の学生や研究者、さらに農家を指導する担当者に診断のデモンストレーションを行うなど、人材育成にも関わっている。その際には学生が説明する場面も多い(図3)。「頭の中でわかっているつもりになっていることも、他人に説明しようとするとうまくいかないことが多々あります。自ら説明しようとすることで、研究への理解も進みます」。

 佐々木さんは「ペルーの方々とは文化も生活様式も違いますが、2週間に1回オンラインで会議をしているので相手のことがよく理解できるようになります。その上で直接対話することが大切ですね」と話す。髙橋さんも「画面越しでは栽培や培養の様子がわかりにくくても、現地に行けば把握でき、研究の方向性もはっきりします」と、現地に行く重要性を説く。人材交流も盛んで、ペルーからの留学生カルラさんが現在研究室に在籍しており、反対に有江さんの研究室からペルーに長期で滞在した学生もいるという。

図3 これまでにペルーに滞在し研究を行った学生は延べ10人を超え、国際交流も活発だ。

 「農学のスタートは現場にある」。現場でどのような問題が起きているのか、その課題をどう捉え、現場に返していくかが自分の仕事だと、有江さんは考えている。有江さんたちの研究がペルー、さらには世界のバナナ産業を救うことにつながると願いたい。

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